「五木の子守歌」で有名は五木村ですが、五木村に入っての第一印象は道の駅周辺の家々や道路、公共施設がみんな新しく、村のイメージとはかけ離れていることです。
道の駅から車で1分のところにある「ヒストリアテラス五木谷・五木村歴史文化交流館」に入って、その違和感は解決しました。館内には五木村で採取された昆虫や五木村の民俗資料や歴史などが展示してありますが、所々に「ダム予定地」という言葉がよく出てきます。
実は、国の施策で大規模ダムが建設されるということになり、谷川周辺にあった五木村の集落がダムに水没するため、山腹を切り開き新しい集落を作りそこに集落全体が移転することとなったのです。結果的に広い土地を持っていた村民は高額補助があり移転が叶いましたが、一部は五木村から出て行かざるを得なかったようです。500世帯がダムのために立ち退き、その内350世帯が五木村を離れたそうです。しかしながら、国の政権交代時の事業仕分けで大規模ダムの建設は中止となり、結果的に五木村は山の山腹に移転したがダムはできず、残った川底周辺の旧集落跡は公共施設等ができることとなったようです。いろいろ考えさせられます。




